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5月6日(火)晴れ こんにちはgenteelです。 こちらのブログでカルト的な人気を得ている、 毎度お馴染絶叫系ビートパンクバンド☆THE・粗チン☆ですが、 今回は粗チンの結成秘話を赤裸々に告白したいと思います。 粗チンの「ン」のP君と「チ」の僕は小・中・高とくされ縁、 「粗」のT君との出会いは高校1年の時。 彼は僕の隣の隣のクラスにいた。 はっきりいって、僕は彼が嫌いだった。 理由は?と問われれば、彼がハンサムだったからだ。 彼はモテていた。 彼のモテ具合は遠く僕のクラスまで伝わってきており、 草刈正雄似の甘いマスクでニコニコと愛想を振り撒き、 同学年の女子やら先輩やら彼の周りにはいつでも女の子がいるのが 気にくわねー!と思っていた。 当時、なぜか非モテ主義だった僕とP君は 誰かれ構わず女の子と目が合うやいなや 「なんだてめー!気持ちワリーんだよ!」 などと全くもってデタラメな暴言を吐くパンクスノットデッドな少年だったので 「Tのヤロー!あいつやってやる!いつかやってやる!」 と日々やさぐれてオッペケペーな嫉妬の炎を二人でメラメラと燃やしていた。 T君にしてみれば不条理極まりない、いい迷惑である。 タイムマシンがあるなら飛んで行って しっかりしなさい!と自分に説教の一つもくれてやりたいが、 当時はあれはあれで僕たちのスタンドバイミーだった。。。 時は流れて僕とP君はむさくるしい精神パンクス高校2年生になっていた。 そんな僕らに「バンドやろうぜ!」と話かけてきた、U君という少年がいた。 僕らは「やる!」と即答だった。 表現したいモノがある!とか 俺の魂の叫びを聞け!とかいう妄想パンク爆発! な思想で頭ん中はタップンタップンだった、 というのは大嘘で理由は簡単、 モテたかったからだ。 女、気持ちワリー!とか言ってんのも飽きてしまい、 モテてみたくなったのだ。 頭ん中は 「女の子にモテたい」 この一点に支配されていた。 思春期に少年から大人へと変わっていったのだ。 言い出しっぺでリーダーのU君に 「平間(私)はボーカルやってよ。で、ベースがPでギターが俺。 ドラムはあとで紹介するわ」と言われて、 何日後かに紹介されたのが 草刈正雄似のT君だった。 「こいつかよ!」 モテ要素を完璧に満たした「汚れた英雄」T君を目の前にして 内心半ギレな僕だったが、 お互い牽制しながらポツリポツリと話してみると 音楽、映画、笑いのツボととても話が合う少年だったので すぐに仲良くなってしまった。 それからは夜な夜なT君の家に集まっては、 彼の親父の秘蔵のハブ酒やらウィスキーをこっそり飲んで 酔っぱらった勢いで髪をブリーチして失敗、 メンバー全員頭がブチ犬みたいになったり、 朝まで女の裸の話をしたりした。 毎週末、電車で水戸に来て 大工町のミシン屋の裏にあった知る人ぞ知る音楽スタジオ「ノイズ」で練習して、 帰りに駅で立ち食い蕎麦を食らう、というのがお決まりのコースだった。 ある日、帰りの電車でタバコを吸ってるのを駅員に見つかって、 猛ダッシュで逃走して田んぼにスーパーダイブ、 体中泥だらけになってオマケに靴を失くしたりした。 バンドの方はというと、何回かライブをやり、 デモテープ審査があるイベントなんかにも応募して参加したり、 充実した時間を過ごしていたが、 残念ながら当初の目的である 「モテる作戦」 は全然だった。 しかし、モテるとかモテないとか途中からどーでもよくなっていて、 とにかくそれぞれスキルアップして人々の魂に届く演奏がしたい! そう思っていた、というのは大嘘でモテたくてしょうがなかったけど、 からっきしダメだった。 相変わらず女の子にキャーキャー言われるのはハンサムT君だけだった。 僕とP君はバンドをやりながらなぜか応援団にも所属して ヒップホップ応援団ならぬビートパンク応援団という 訳の解らないアングラミクスチャーな存在となっていたので 勿論モテ要素ゼロでトホホのホといったところか。 そんなアングラ変態パンクスな僕らにもスポットライトが当たる時が来た。 3年に1度、一般公開される高校の文化祭に出演が決まったのだ。 「やるしかねーだろ、ってかここしかねー!」 僕らは気合十分だった。 しかしその時、 僕らにとんでもない予想だにしない悪夢が待ち構えていようとは、 誰も知るよしが無かった。。。(続く) 7日(水)はお休みです。 ヨロシクどうぞ。
by genteel
| 2008-05-06 20:02
| genteel news
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